ドイツワイン物語

日本を救ったモーゼルワイン

2018/02/27

NHKで平成21年(2009)の暮れから放映されたスペシャル・ドラマ司馬遼太郎原作・「坂の上の雲」の興味深い記事が、放映半年前にドイツのモーゼル醸造組合長から送られてきたドイツぶどう栽培新聞に、『モーゼルワインは既に1885年から日本に! 今新たなドラマ化決定』というタイトルで次のように載っていたのです。
「1884年9月、日本の大山巖将軍が、プロイセンの参謀将校を、陸軍大学校に教官として招聘するためベルリンを訪問し、この要請を受けた陸軍大臣・ゼレンドルフは、参謀総長・モルトケにその選任を命じた。モルトケは部下のメッケル少佐を呼び、日本での任務の遂行について彼の意向を尋ねると、彼はこの突然の提案に戸惑い、考える時間を申し出た。しかし、次の日に承諾の返事を受けた将軍は『何故、考える時間が一日で済んだのか?』と尋ねると『私はモーゼルワインを一日たりとも飲まない訳にはいきません。そこで、モーゼルの友人に東京に送ることができるかを尋ね、可能だという返事を貰いましたので、すぐに東京に行く準備ができたのです』と答えた。こうして、モーゼルワインは120年前、プロイセンの参謀将校が初めて日本帝国の陸軍大学校の教官を引き受けるという重要な出来事に貢献し、最近ドラマになってメッケル少佐のモーゼル時代のエピソードの撮影がこの地で行われたのである。司馬遼太郎のファンの多くの日本人たちは、このドラマの放映を待ち焦がれている。モーゼルワインが紹介され、日出る国・日本でモーゼル・リースリングの新しいファンが増えることを期待する。そして、放映される夕べをモーゼルワインと共にそのドラマを楽しんでくれたらどんなに素晴らしいことだろう」
こうして、最初の外国人教官として招聘され、その智謀神の如くと謳われたメッケルが赴任したのが明治18年(1885)で、明治15年(1882)開校の陸軍大学校は、彼が教鞭を取った3年の間に、それまでのフランス式の兵制から、ドイツ・プロイセン陸軍大学校の教育方法に改革され、それは昭和20年(1945)の日本敗戦による陸軍解体まで続いていたのです。
その後、明治27年(1894)の日清戦争に勝利し、明治37年(1904)の日露戦争が勃発し、その緒戦で黒木為偵大将が鴨緑江の渡河作戦でロシアの大軍を撃破すると、藤井茂太参謀長がベルリン郊外で隠棲中のメッケル少将に、「貴官の教えのとおりに戦い、われわれは勝利した」と感謝の手紙を送り、更に、戦争が終わると満洲派遣軍総参謀長・児玉源太郎が感謝の電報を打つなど、日本陸軍首脳部は文字どおりメッケルを神のように崇めていたのです。
当時の日本がロシアと戦うことの無謀さは日本人の誰しもが知っていたが、日本側が到底呑めないようなロシアの要求に前に、止むにやまれずに開戦し、メッケルから教えられた戦術により、国難が救われたとの思いが強かった陸軍の首脳たちは、こうして感謝の念を表したのです。
この、日本からの感謝の手紙や電報にたいして「予は最初から日本軍の勝利を信じていた。この勝利は日本軍の古来培養せる精神の至らしめるところである」と、逆に日本人の精神性を讃える感想を伝えてきたのです。
このこと知った司馬遼太郎は、メッケルが日本に来るきっかけを作ったモーゼルワインを『運命のモーゼルワイン』と評し、「若しモーゼルワインが東京で手に入らなかったら、日本の運命は変わっていただろう」と断じたのです。